→ 私の摂食障害克服記 3 からのつづきです

極端なダイエットと過食をくり返すようになり、私は徐々に抑うつ状態に陥っていきました。

私の場合、食べた後に吐くことはなかったのですが(上手くできなかったというのもあります)、下剤を使うことはありました。

また、ダイエットサプリなどを薬局でみつけては、試してみることもありました。

こちらも、下剤のような効果だったと記憶しています。

それ以前から、過敏性腸症候群わずらっていたこともあり、いつもお腹の調子が悪く、外へ出かけたり、人と会ったりすることにも苦痛を感じていました。

それでも、人前では「明るい人」「いい人」に見られようとしていたので、一人でいる時の自分と、外で無理に明るく振る舞おうとする自分との間に、大きなギャップが生まれるようになっていきました。

今思えば、拒食と過食をくり返す自分、そして人前で別人格を演じる自分とは、かなり強迫的になっていたのだと思います。

そんな私から、周りの人はだんだん離れていきました。

努力して掴みかけた仕事のチャンスも、先方から断られてしまいました。

その頃、忘れられない1つのビジョンがあります。

ある時、ふと浮かんできた脳内イメージです。

私が必死で崖の淵にしがみついているのですが、とうとう疲れ果て、その手を離してしまいます。

そうして崖からずるずるずる・・・、と谷底へ滑り落ちてしまうという一連のシーンでした。

それは、その時の自分の状態をよく表していたビジョンだったと思います。

私はそれから、無理にいい子を演じるのをやめました。

子どもの頃から「しっかりしたいい子」「真面目な優等生」でいるように言い聞かされて育った私は、いつも誰かの言いなりの人生を送っていました。

母親には、1度も話を聞いてもらった経験がありません。

例えば、「今日は夕飯に何が食べたい?」と聞かれたこともありませんでした。

いつも母親の命令に従い、意に沿わないと容赦なく罰せられました。

それでも、泣くことを許してもらえませんでした。

思春期に、そんな母には言えない悩みをたくさん抱えていましたが、母からは「あんたなんか何も悩むことはないだろう」「お前はただ勉強だけしていればいいんだ」と冷たく言い放たれました。

私は、親元を離れれば、自由になれるものだと信じて疑っていませんでした。

しかし現実は、そこからが本当の自分と向き合う入口だったのです。

摂食障害とその克服は、その1つに過ぎませんでした。

→ 私の摂食障害克服記 5 へつづく